コーさんは海士という島の存在や隠岐のことすらほとんど知らず、さらに言えばそんなに田舎暮らしに
あこがれていたわけでもなく、夢を抱いてこの島に来たというわけでもなかった。「…『じゃぁ、なんで
来たの?』と言われそうですが、簡単にカッコイイ言い方をすると、都会で無理して暮らしている自分
にずっと違和感があって、ついにそれが限界までいってしまったっていう感じでしょうか。」便利で快適
な暮らしをするために、そしてそれを維持するためにかなり無理をして、自分でもそれが分かっていて
も、認めてしまうと心が壊れてしまいそうで、どんどん無理を重ねてしまう日々。

そんなとき、まったく偶然こんな言葉にぶつかる。「どうしても今の場所で頑張るのが無理だと思った
ら、場所を変えればいいのです。それは別に悪いことでも恥ずかしいことでもないし、逆に無理して今
の場所にいるということは、人生をあきらめてしまうということなんですよ。まだあきらめたくないなら、
新たな希望を求めるなら別の場所に移ればいいので、それは逃げるってことではないんです」これを
聞いたとき、一気に心が軽くなり、自分にできないことをすべて認めることができるようになった。

そして生きていく場所を変える決心がついたのだと言う。
縁あって海士町に移住したのが平成17年の夏。




「…来た当初は、自分は都会の中で人に揉まれ社会に揉まれ、ピリピリした競争社会で頑張ってきた
んだから、そんな経験がきっと役に立つこともあるだろうと思っていました。でもそんなの何の役にも立
ちませんでした。ここでは野菜を作ったり、魚を釣ったり、大工事ができたり、そんなことの方がよっぽ
ど役に立つのでした。」何もできなかった時、本当にいろんな人のお世話になった。そうするうちに、生
まれてこれまで人にお世話してもらうことばっかりで、いったい自分はどれだけ人の役に立つことをした
ことがあるのか、そんなことを考えるようになった。「とにかく自分も何か、自分の手で『もの』が作れる
ようになりたい。自分が作ったものでお世話になった人にお返しがしたい、喜んでもらいたい」と…イン
ターネットを使って、自分なりに海士町のPRができないかと思いついたのだ。

全国の人に海士の情報を発信して、ひとりでも多くの人に海士に来てもらい、海士のファンになっても
らう。それが町の産業発展の一助になれば、ということだ。とは言えパソコンの知識もほとんどなく、
最初は想いだけが先走っていた。「海士町の良いところは、町を思う気持ちを持って何かをやりたいと
考えている人を精一杯応援してやろうというところです。そして自分と同じような考えを持つ仲間もすぐ
に見つけることができます。」




自分自身、もともとボランティア意識などあまり無い人間で、今でも町のために何かをしているという気
持ちはほとんど無い、とも言う。「…ただ自分のやりたいことをやらせてもらって、そのやりたいことって
いうのが単に自己満足じゃなく、誰かの役に立てれば最高に幸せだという気持ちです。」Webを使って
表現する際には、文章・写真・動画・イラストなども自分で作る、それらが昔から好きだった、ということ
も思い出した。

コーさんがやったのは、全国の力あるブロガーをツアーで募集して海士の魅力を現地で体感してもらい、
各自のブログで発信してもらうという事業。ツアーは大成功。来たブロガーたちは実際に海士ファンに
なったばかりか、海士を離れたところで交流が活発に進み、ネットワークが強くなりオフ会なども開催
しているという。

「…若い頃、自分のやりたいことを仕事にして暮らしていければって考えて、でも人生そんな甘いもの
じゃないと人から言われ、自分でもそうかなと思い心の奥に封じ込めてしまう。そんな人って結構多い
んじゃないでしょうか?でもね。私は思うんですよ。本当にやりたいことって、実はそれをするために生
まれてきたんじゃないかって。ちょっと大げさかもしれないけど、今の自分にはそう思えます。」

何もかも求めたら無理だけど、ただひとつやりたいことを絞れば、できないことはないような気がする。
そのためにはさっき書いたように、場所を変えることも必要かもしれない。都会では大勢の中に埋もれ
てしまってできないことも、地方に目を向ければもっと自分を表現できる場所が必ずある、と。コーさん
の言葉は力強い。

「確実に言えるのは、海士町は私にとってそういう土地でした。」


 
 









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