お知らせ
2016.05.29
レポート:第10回島会議「受け入れる意思と戦略」

5月7日、隠岐開発総合センターにて、海士町観光協会とふるさと島根定住財団の共催で第10回島会議「受け入れる意思と戦略」を開催しました。

 

DSC_8661

 

山内道雄町長より、「海士町は地域ぐるみのケアをモットーとしており、「来る人を拒まず、去る人を追わず」まさに今日のテーマにある『受け入れる意志と戦略』を大切にしながら取り組んできた。今日は皆様から出てくるお話やアイデアを今後の参考にさせて頂く思いであります。」と、ご挨拶いただき、島会議が開幕しました。

最初のプログラムでは「地方創生における地方の定住戦略」と題して、総務省地域力創造審議官の原田淳志氏(以下:原田審議官)と株式会社紡代表取締役の玉沖仁美氏(以下:玉沖氏)による対談がおこなわれました。冒頭は、原田審議官による「地方創生」について。「創生とは、字のごとく新たにつくり出すことですが、おそらく、ふるさと創生の竹下内閣の「自ら考え自ら行う地域づくり事業」通称ふるさと創生事業が話題となり、創生という言葉が世間に取り沙汰されたことが始まりではないか。地方創生が何かというと、正直定義したものはないが、まち・ひと・しごと創生本部ができ、国会で総理が所信表明演説の中で、海士町を題材にしながらお話されたところです。海士町の取り組みがまさに政府として求める一つの姿なんだ、と。まち・ひと・しごと総合戦略ができ、いろいろなことが挙げられているが、その中に定住をイメージするよりはどちらかというと、地方への人の流れを作るということが大きな項目として取り上げられています。地方への人の流れから雇用の場をつくるとか、いろんな仕事の中で地方移住推進が具体的な施策として挙げられている。」と、現状を踏まえた説明があった後、玉沖氏との対談に移りました。

玉沖氏:定住とか移住とはそんなにすごい施策なのか。原田審議官:定住や移住は目的ではなく、振りかざす必要もなく、人の流れであり覚悟も必要で家族などが居ればハードルが高い…ハードルを上げすぎないで交流によるファンを増やし、人の流れをつなげていける場を我々は作っていきたい。玉沖氏:定住のお題に対し、目的を達成している共通項は?原田審議官:成功事例としては、やはり海士町。職員もイキイキと町長の代わりに働き、それぞれが町長の思いを理解して働いている様子を感じた。海士町のイメージは行政改革、町長の仕掛けによるリーダーシップが大事である。玉沖氏:海士町の取り組みは自然体だな、と。良い意味で敷居が低く、地域おこし協力隊というツールを目的をもって活用している。海士町へのエールはありますか?原田審議官:きちっと繋がる手立てをやって頂きたい。海士町が頑張り続け、キラッと光り続けられるように、過疎を逆手にとって一生懸命支援していきたい。縦割りがだめだ、横連携だといわれるが、難しいことほどいろんな意見を聞いて、いろんな意味でのコンセンサスを取り入れ、目先の利益にとらわれず、みんなが目指していっていただければより良い海士町となる。

会場からの質問:「来ていいよ」と言ってもらえたから私はこれた。何ができるのか、と聞かれたら来れなかったと思う。活動する中で見つけていってくださいと言われたことが決め手でした。原田審議官:現場でこうやりたいということを市役所の方とよく相談すると、出来ることがたくさんある。市役所の方も地域の現状とマッチングしていくことが大事で、よい結果が出ることになる。いろんな意味で、来ていただく方の覚悟も大事であるが受け入れる方もサポートが大事である。

次のプログラムは、ふるさと島根定住財団の奈良井健吾氏と島根県庁地域振興部地域政策課の田中壮一氏による「海士町の受入戦略~観光協会を事例として」と題して、海士町観光協会が取り組む「島食の寺子屋プロジェクト」「島活プロジェクト」「島のマルチワーカー」「島宿プロジェクト」「離島キッチンプロジェクト」の事例を紹介がありました。奈良井氏「いろいろな地域がいろいろな受け入れをしているが、ミスマッチがあると不幸になる。海士町は、海士町流の定住者の受け入れ方があり、ステージの用意がある。元々あった資源を磨き上げ、なかった仕組みを作り上げ、仲間を作り雇用を生む」。

会場から質問:気になったのは、違うことをやりたくて海士町に来たのに来てから方向性が変わった方もあるがよくあることなのか。マッチングできたということなのか。奈良井氏:割とよくあること。海士町では人によって面白いステージが用意され、人の魅力と用意されたステージの面白さがよかったのではないかと思う。

次のプログラムは、「海士町定住の事例 その1」として、株式会社トビムシ代表取締役の竹本吉輝氏(以下:竹本氏)と飯古建設有限会社で夫婦で勤める笹鹿夫婦の対談。まずは竹本氏。竹本家の「受け入れ”られ”る意志と戦略」として話され、海士町への移住体験に基づき、季節感を感じられる島の日常的な暮らしぶりと子育ての3年間を写真と共にエピソードを紹介。竹本氏「好きな言葉、管啓次郎氏の「旅の可能性を考えない定住者に現実を変える力がないのと同じく、定住の意味を知らない放浪者は頽廃に沈むだけだ」という言葉は町長の言っていた「来るものは拒まず去る者は追わず」に通じるものがある。僕はいまも旅の真っただ中に在る。」。次に笹鹿夫婦。笹鹿岳志氏(以下:岳志氏)の教員から漁師へのエピソードで、移住を決めたもののすぐにいけない状況が発生。来年はないかもということから奥さんが先に移住するという逆単身赴任のようなウルトラZ(かC)を使って移住し、現在に至る。海士町HPの求人のキャッチコピーで「漁師募集、厳しいけど楽しいよ」とあり、目を奪われた。後でわかったが海士町役場交流促進課の青山氏(以下:青山課長)が考えたキャッチコピーだった。

DSC_8675

(左から笹鹿恵子氏、笹鹿岳志氏、竹本吉輝氏)

司会:最初に岳志さんが移住をしたいといったときに感じたことは?笹鹿恵子氏(以下:恵子氏):竹本さんに塩をもらった。すごい高校があるんだという話をした。夫はひそかに海士町のHPを見てたらしい。岳志氏:島前高校がおもしろいと奥さんから聞いてた。静岡でも教員で楽しくやっていたので、他の地域で教師という思いはなかった。そんな時HPを見ていたら漁師へのコピーが…。竹本氏:うちの奥さんは海士町へは行ったことがなかったが、僕から聞いた海士町の良さをPRしてた。司会:来るのに住宅が気になった?恵子氏:青山課長が家を見せてくれて、きれいだし、薪ストーブがあって住みたくなった。住宅もだが、青山課長が本当に欲しいのは新一年生のこの子。この子がいれば海士小の教員が減らなくて済む。この子は金の卵だ。来年はただの転校生!こんなに素直に言われたのが逆に新鮮でウソがなくてここにしようと思った。岳志氏:男のロマンで決めたが、優先順位は奥さんが決め手。恵子氏:専業主婦が仕事を始めて、子育てしてフラフラになりながら仕事をする毎日。そんな中電話するも…旦那はスキー場…。岳志氏:ウソはつけないたちなので…。大変な苦労をしている家族に試験の合間に海士に来て会ってました。司会:竹本さんが来たきっかけは?竹本氏:妻があおった笹鹿家の移住。環境の良さと母1人でやっている笹鹿家。司会:暮らしの部分での狙い?竹本氏:どこに住んでいても仕事の関係で家にいない。この島は家族が住みよい環境。島の中ならどこにいても心配がいらない。いろんな意味で包摂的で許してもらえる環境。司会:地域の関係は?竹本氏:島ということ。船で来て船で出ていく。島に帰ってきた感じ。中山間地域では高速道路が走っている。島は閉ざされている中で開けている。進んでいる。住み手次第でマインドが変わってくる。移住する側の心持ちが大きいと思う。司会:今後の移住者へ何か一言お願いします。岳志氏:ぐいぐい引っ張るリーダーシップは漁労長で、自分は副漁労長として先輩としてしてあげていることはないが、島で楽しくやっているっていうことを伝えていっているという感じ。折角呼んでもらったんでできることを…海士町へ協力して子供の楽しい笑い声が貢献であったり…でも第一は自分たちの暮らしぶりが楽しいこと。恵子氏:海士町に来ていろんな自分の発見があった。情熱の注げる活動ができるのは他の地域ではできないこと。ソフトバレーも全国大会を目指すなど自分の情熱に気付き、自分が主役になれる島。他にはないと思う。竹本氏:女のロマンだ。司会:この島の綱引き大会はかなり早くから練習してそこで優勝した経緯…。竹本氏:本当にかなりストイックですよね。。

会場から質問:私たちも夫婦ともに移住したが、奥さんは「教師→漁師」はどう感じているのか。恵子氏:今も教師に戻ればいいのにと思う。今までの主人の仕事は見たことはないが、周囲から見ていい先生なんじゃないかと思う。この経験もいつか生徒に還元できるのではと思っている。岳志氏:この年でまだもがけるうちはいいかな。教壇に立つだけが教師ではないので、またどこかで子供たちと関われれば…とは思っている。

次のプログラムは「海士町定住の事例 その2」として夜カフェ10オーナーの後藤氏と石田夫婦の対談でした。まずは後藤氏。「地域おこし協力隊がなかったころ、商品開発研修生として海士町へ飛び込んだ。商品開発研修生として来てから、とくに1年目は島の中で出会う人に挨拶しておじいちゃんおばあちゃんの話を聞いた。何でも屋として声をかけられたらどこでも行って何でもやった。職場でも電話とった人がその仕事をする。そんな中で知り合った人たち、そして一番力を入れてきたのが「ふくぎ茶」でした。ですが、商品ができても販路がないのが当時の弱点でした。今は、海士町を離れていますが、離れているからこそ、一つのマーケットとして挑戦し続けています。」

DSC_8676

石田夫妻のお話(当時25歳の同い年の二人)。石田なつ子氏(以下:なつ子氏):後藤さんと同じく商品開発研修生として、しゃん山ガールで野菜を売っていました。島に来たきっかけは、後藤さんと同じくリクナビの島に宝探しをしませんかにひかれ縁があってきた。石田大悟氏(以下:大悟氏):ふるさと海士で働いていた。当時北分地区に住んでおり、地域の祭りなどに参加してつながりを持った。なつこ氏:私は契約を更新せず1年間で帰った。理由は、用意されたステージに対して、自分で切り開いていく力がなかった。自分の名前と顔を覚えてもらう1年間。難しく、もがいている仲間を見て、自分にできるだろうかと感じ、帰る決断をした。大悟氏:結婚を機に、奥さんの実家のある名古屋へ帰るが、もう一度海士町へ来たいという思いから、長男が年長の時に再度来島。都会では味わえない、地域とのつながりと子育てが海士町での暮らしぶりです。

司会:長屋での生活ぶりと関係性は?後藤氏:長屋ができてなくて、完成を待っていた感じ。なつ子氏:長屋が出来てから来る。後藤氏:当時…なっちゃん家だけ窓が違う。なつ子氏:6軒長屋に1人だけ、女性が決まったと聞いた。大悟氏:うちの今…(メンバー納得)後藤氏:みんなで一緒にご飯を食べたりした。そこが戦略会議でもあって、職場も家も海士という感じで。司会:なぜ海士町に?なつ子氏:ここに来たきっかけは、どこかで修業したかった。親元でOLだったので。離島で生活したら相当厳しい?と思ったけど、だけど実際は、職場の上司がとにかくいい人で。仕事の悩み、暮らしの悩みも話せ、充実した日々だった。後藤氏:どこに行ってもおもてなしを受けていて、これはもう返せないな、という思いがあった。おもてなしを受けるだけ…が当たり前じゃない。ぼくらも海士らしいおもてなしができるようになった。なつ子氏:1人暮らしが初めてなのでメールでいろいろ相談。担当課長は丁寧で夜中にも関わらず返してくれる。来る前に信頼関係ができていた。海士の場合しっかりあって多く移住者が来ているのではないかと思う。大悟氏:ふるさと海士という会社で働き、当時からGMにお世話になっていたが、1から10までではなく、一歩後ろから時には斜め横から…見守る本気度が伝わってくる方。当時は役場の人は民間の人より働かないという勝手なイメージを持っていたが、海士町に来て払拭された。GM、町長、大江課長など熱い上司たち。なつ子氏:上司の大江課長には頭が上がらない。大好き。器が大きく、大江さんの為だったら頑張れる。そばで見てきて自分もいつかそんな人になりたい。なっていたい。後藤氏:背中を見せてくれた。見守ってくれた。それがうれしかった、それは今でも同じ。なつ子氏:再び来るときに連絡したらすごく喜んでくれた。後藤氏:当時のキンニャモニャセンターも個性的な課長ばかりだった。青山課長しかり…新鮮で刺激的で、定住とかできたわけじゃないけど、離れている今も長期出張的な入り込んでるものでここが好きって感じ。司会:面接のあり方が面白い。職員が前日島内案内し、翌日に上層部の面接ということであるが…。町長:面接そのものではなく、ステージも作っているのではない。来てからステージ作りのお手伝いをする。県や国の理解があったからやってこれた。面接は本人のやる気があるかないかを見るだけである。後藤氏:めちゃくちゃ楽しかった。宿泊先の民宿での出来事も…面接が終わった後、また海士に来たいと思った。なつ子氏:面接は「あなたの見つけた島の宝は何ですか?」だったと思う。とても緊張していたことを覚えている。大悟氏:島ならでは、当日すごい時化、来る予定の船欠航。外から来る人が何人もいてみんなで急遽、七類港へ向かった。ホテルで前夜祭があり面接の前の日に課長たちと夕食をした。司会:一度この島を離れた共通項。離れるときに思ったことは?後藤氏:離れてても、海士のことを一日一回思い出す。ふくぎ茶を取扱い、ふくぎ茶をいかに売るかを考えているので…。青山課長に投資効果を早く出せと言われているのですが、まだまだです(笑)。少しづつ繋がっているので、情報の共有が出来ているので今後も何かできると思う。(終)

【まとめ】
第10回となった島会議、「受け入れる意志と戦略」というテーマで開催をしました。約70名の会場にて、総務省の原田審議官のお話から始まり、移住者自身のお話や、様々な立場からのお話で盛り上がりました。

”受け入れる側の覚悟・ひとりひとりに向かう姿勢こそが一番大切なことであり、きれいに整った施策は作れない”そんなメッセージをもって臨んだ島会議でした。様々な立場からの意見を呑んで語る場ができたからこそ、賛否を含め議論が盛り上がり、熱のある会場となりました。共通していたことは「いかに当事者意識をもてるのか」ということだったと思います。

R0040242s

ご協力いただいた皆様、ご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました。

戻る