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絵本

親父の残したパンの味

(非)連載小説と言いながら、なんとなく毎週掲載を続けています。
こうなったら途中で途切れたくないので、できるだけ頑張ります!

今回は「絵本」っぽい感じにしました。


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長い冬がようやく終わり、地上には柔らかい日差しがあふれていた。
 
家々の窓は、待ちわびた春を我が家に取り込もうとするように大きく開け放たれていた。
町はずれの橋の下にある、崩れそうな段ボール・ハウスにも、春は同じように挨拶をしにやって来たのだが、それには窓やドアと呼べるものはなく、垂れ下がった古毛布がただひとつの出入り口をふさいでいた。

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ここの主(あるじ)の男は、季節が移り変わったことを知ってか知らずか、湿った窮屈な空間で、ひざを抱えたままじっとうずくまっていた。
 
路上生活を始めて5回目の冬を越した男の体力は、春が来たからと言って回復しそうにないほどに消耗しきっていた。
観測史上最高を記録した今年の猛烈な寒波は、老いた体に重大なダメージを与えたようで、もはや動くこともままならず、時折薄れかける意識の中で、男はぼんやりと自分の人生を振り返っていた。
 
― 俺はもうダメかもしれないなぁ。でも、親父に比べりゃ長生きした方だ。もうこの先何も良いことなんて無いだろうし、この世に未練はねぇや。
 
死んだらまた親父に会えるかな?不思議だな。長いこと親父のことなんて思い出したことも無かったのに……

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俺は日本海の小さな島、隠岐諸島のひとつ「海士」という島で生まれ育った。
親父は死ぬまでその島で暮らしていた。
無口で金に縁がなく、あまりぱっとしない人間で、うちが貧乏なのはこの人が頼りないからだと、俺はこども心に親父のことを馬鹿にしていた。
 
親父の唯一つの生きがいは… 見かけによらない洒落た趣味だけど、自分でパンを作ること。
しかも小さな畑で小麦を栽培し、発酵させる酵母も自分なりに工夫して作っていたほどだ。 

子供のころの俺は他のパンなど食べたことが無かったから比較はできなかったが、親父が焼くパンの香りとその味は好きだった。
 
親父は俺が十二の時に死んだ。
葬儀でお袋が、棺の中に親父が育てた小麦を入れてやった。
俺はこっそり、その中の1つまみだけを自分のお守り袋に忍ばせた。

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親父が死んでからは、お袋が女手ひとつで俺を育ててくれた。
学校を卒業したら都会に出て、俺がお袋にもっと良い暮らしをさせてやろうと思っていたんだけど、体に染み付いた貧乏は、そう簡単には拭い取れはしなかった。
都会に埋もれ世間を恨み、死んだ親父を恨みながら悶々と暮らしていたそんなある日。
偶然親父の書いた手帳を遺品の中から見つけた。
 
そこには親父が長年かかって完成した、最高のパンの作り方が書いてあった。
最高のパンを作るための小麦の育て方、粉の轢き方、酵母の作り方、パンを焼くかまどの作り方、焼き方、などが細かく書かれていた。
 
俺は子供のころ嗅いだ、親父の焼くパンの香りを思い出していた。
 
懐かしさとともに、何かに導かれるように、俺はなけなしの金をはたいてその手帳に書いてあるとおりに小麦を育て、パンを作ってみようと思った。
実家の畑でお袋に手伝ってもらい、小麦を育て、俺も時々島に帰ってはかまどを作ったり酵母を作る研究をした。
かなり苦労して時間が掛かったが、出来上がったパンは想像以上にすばらしい香りと味だった。それまで食べたパンとは明らかに違う別の食べ物のようだった。
 
俺は一世一代の大勝負に出た。
勤めていた会社を辞め、借金をして自分で小さなパン屋を開いた。
 
そしてすぐに俺の作ったパンは想像した以上の評判を呼び、マスコミにも取り上げられるほどになった。

(つづく)

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