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2007年11月
親父の残したパンの味(後編)
-店も大きくし、店舗も増やした。結婚もし、子供もできた。俺たち家族は、ぜいたくの限りを尽くした。
すべては俺が作るパンがもたらした幸運。誰に気兼ねをすることもない。
このパンのおかげで、俺は一生金には困らない。

俺は最高のパンを作る技の、大切な部分だけは誰にも教えなかった。妻や子供にさえも。
秘密が漏れて、真似されるのを恐れていたんだ。
この幸せな人生は永遠に続くかと思っていたが、悲劇はあるとき突然に起こった。
他人に任せたくないと、長年無理をし続けたことがたたり、俺は脳梗塞で倒れてしまったんだ。
一時は体も全く動かず、口もきけない状態になっていた。
俺がいない間、誰も最高の粉の作り方が分からず、粗悪な小麦粉を使ってしまった。しかも、酵母の配合も釜の温度、焼き加減も誰も知らない。
店では仕方なく適当に作って客に出していたが、あっという間に客は俺の店から離れていった。そしてついに店は巨額の負債を抱えて潰れてしまった。
退院した俺には、もう何も残っていなかった。妻子でさえ、俺が倒れてすぐ有り金を全部持って家を出て行ってしまっていた。
バチが当たったのかもしれない。
誰にもパン作りの秘密を教えなかったことを後悔したが、もうすでに遅かった。
退院できたと言っても体も言葉も不自由な俺には、ホームレスになるしか選択する道はなかったというわけだ。
俺は夢を見ていたのかもしれない。
いっそ夢ならもっと良い夢を見たかった。本当の幸せを感じることができるような。
そういえば、マッチ売りの少女はマッチを擦ったら幸せな夢を見れて、そのまま天国に行くことができたんだったなぁ。
男は身につけたお守り袋から、いく粒かの小麦を取り出した。
-パン売りのじいさんは、麦粒をかじりました。すると、温かい家庭で家族と仲良く暮らす幸せな夢を見ることができました。そして空から天使が降りてきて、じいさんを天国に連れて行ってくれました…… なんてね。
男は薄れゆく意識の中で、麦粒を口に入れた。
……………
「先生の意識はもう戻らないのだろうか? あぁ、何と言うことだ。神様、どうかこの方をまだそちらに連れて行かないでください」
「そうだ。我々はまだ、先生に教えていただかなければならないことが山ほどあるのだから… 」
「結婚もなさらず、ご自分の人生を世の中の役に立つために、すべて捧げてこられた… このような素晴らしいお方の代わりをできるものはどこにもいない」
「趣味のパン作りから、麦と酵母菌について研究に研究を重ね、ついにあらゆるがん細胞を消滅させる効果のある物質を抽出することに成功された。先生のおかげで、今ではほとんどのがんが苦しまずに治療できるようになった」
「そして小麦の品種改良方法までも先生は考案されて、その小麦は、がんを予防する効果が高いということも証明された」
「それだけじゃない。その小麦は、どんな気候条件でも安定して育てることができるので、先生は発展途上の国々にその技術を伝え、その結果多くの人々を貧困から救ってこられたのだ」
「これほどの多くの功績を残された先生が… こんなことになるなんて」
病院のベッドに横たわる男のまわりを取り囲んだ人たちは、その男を褒め称え、病気から回復することを心から祈った。
そのとき男の目がうっすらと開いた。
「おぉ、先生!気が付かれましたか」
病室内に安堵が広がった。しかし、まだ人々は心配そうな顔でベッドの男を見つめていた。
― ここは……? 夢を見ているのか?
微かに意識が戻った男は、喋ろうとしたがどうしても声を出すことができなかった。
「先生、ここは病院ですよ。研究室で倒れていたところを発見されて、運び込まれたのです。大丈夫ですよ。軽い脳梗塞のようです」
男の助手のひとりが、安心させるために嘘を言った。
― そうか… ということは、さっきまでのが夢だったのか…
男は舌の上でころころするものに気がついた。
舌の感触で分かった。それは一粒の麦粒だった。
そうだ、思い出した。
私は朝方までひとりで研究をつづけ、とても疲れていた。今思えば、確かに体調に異常を感じていた。
一服しようと珈琲を入れているときに、なぜか昔のことを思い出したのだ。
私は本当は、生まれ故郷の島に帰って小さなパン屋をやりたかった。島の人たちにおいしいパンを食べさせてあげたかったのだ。
父の書き残した手帳を見つけたときから、パン好きの父の想いが私に乗り移ってしまったようだ。
しかしその想いは、私をパン作りのさらなる研究へと向かわせた。
パン屋をやっていたら、さっき夢に見たような人生を送っていたのかもしれない。
良かった。これで良かったのだ。私は正しい選択をした。
パンのおかげで人助けができたことは私の喜びであった。きっと父も喜んでくれているだろう。
ずっと心に引っかかっていた、もうひとつの人生を選択していたらという想いに、もう囚われることもなくなった。
私は肌身離さず持っていたお守り袋の中の、父の残した数粒の小麦を取り出した。そしてなぜだか味わってみたくなり、それを口に入れた。
その先は覚えていない。おそらくそこで意識を失い、倒れてしまったのだろう。
しかし妙だな。夢の中の私も、確か最後に麦粒を口にして…
男の意識はすでに混濁していた。
命の灯火は、もはや消えかかっていた。
― 私は今、夢を見ているのだろうか。
― 俺は今まで、夢を見ていたのだろうか。
― 私にはもうひとつの人生があったのだなぁ。
― 俺にはもうひとつの人生があったのだなぁ。
― それが最後に分かって良かった…
― それが最後に分かって良かった…
そのとき天使が舞い降りてきて、男の手をとった……

(おわり)
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親父の残したパンの味
(非)連載小説と言いながら、なんとなく毎週掲載を続けています。
こうなったら途中で途切れたくないので、できるだけ頑張ります!
今回は「絵本」っぽい感じにしました。
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長い冬がようやく終わり、地上には柔らかい日差しがあふれていた。
家々の窓は、待ちわびた春を我が家に取り込もうとするように大きく開け放たれていた。
町はずれの橋の下にある、崩れそうな段ボール・ハウスにも、春は同じように挨拶をしにやって来たのだが、それには窓やドアと呼べるものはなく、垂れ下がった古毛布がただひとつの出入り口をふさいでいた。

ここの主(あるじ)の男は、季節が移り変わったことを知ってか知らずか、湿った窮屈な空間で、ひざを抱えたままじっとうずくまっていた。
路上生活を始めて5回目の冬を越した男の体力は、春が来たからと言って回復しそうにないほどに消耗しきっていた。
観測史上最高を記録した今年の猛烈な寒波は、老いた体に重大なダメージを与えたようで、もはや動くこともままならず、時折薄れかける意識の中で、男はぼんやりと自分の人生を振り返っていた。
― 俺はもうダメかもしれないなぁ。でも、親父に比べりゃ長生きした方だ。もうこの先何も良いことなんて無いだろうし、この世に未練はねぇや。
死んだらまた親父に会えるかな?不思議だな。長いこと親父のことなんて思い出したことも無かったのに……

俺は日本海の小さな島、隠岐諸島のひとつ「海士」という島で生まれ育った。
親父は死ぬまでその島で暮らしていた。
無口で金に縁がなく、あまりぱっとしない人間で、うちが貧乏なのはこの人が頼りないからだと、俺はこども心に親父のことを馬鹿にしていた。
親父の唯一つの生きがいは… 見かけによらない洒落た趣味だけど、自分でパンを作ること。
しかも小さな畑で小麦を栽培し、発酵させる酵母も自分なりに工夫して作っていたほどだ。
子供のころの俺は他のパンなど食べたことが無かったから比較はできなかったが、親父が焼くパンの香りとその味は好きだった。
親父は俺が十二の時に死んだ。
葬儀でお袋が、棺の中に親父が育てた小麦を入れてやった。
俺はこっそり、その中の1つまみだけを自分のお守り袋に忍ばせた。

親父が死んでからは、お袋が女手ひとつで俺を育ててくれた。
学校を卒業したら都会に出て、俺がお袋にもっと良い暮らしをさせてやろうと思っていたんだけど、体に染み付いた貧乏は、そう簡単には拭い取れはしなかった。
都会に埋もれ世間を恨み、死んだ親父を恨みながら悶々と暮らしていたそんなある日。
偶然親父の書いた手帳を遺品の中から見つけた。
そこには親父が長年かかって完成した、最高のパンの作り方が書いてあった。
最高のパンを作るための小麦の育て方、粉の轢き方、酵母の作り方、パンを焼くかまどの作り方、焼き方、などが細かく書かれていた。
俺は子供のころ嗅いだ、親父の焼くパンの香りを思い出していた。
懐かしさとともに、何かに導かれるように、俺はなけなしの金をはたいてその手帳に書いてあるとおりに小麦を育て、パンを作ってみようと思った。
実家の畑でお袋に手伝ってもらい、小麦を育て、俺も時々島に帰ってはかまどを作ったり酵母を作る研究をした。
かなり苦労して時間が掛かったが、出来上がったパンは想像以上にすばらしい香りと味だった。それまで食べたパンとは明らかに違う別の食べ物のようだった。
俺は一世一代の大勝負に出た。
勤めていた会社を辞め、借金をして自分で小さなパン屋を開いた。
そしてすぐに俺の作ったパンは想像した以上の評判を呼び、マスコミにも取り上げられるほどになった。
(つづく)
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エメズドさん
これも以前ブログに書いた話を、少しリライトしたものです。
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海士町・御波(みなみ)地区の墓地に、二つの五輪塔があります。
島の人にエメズドさんと呼ばれ、大事に守られてきました。
エメズドさん?
なんか妙に気にかかる、不思議な響きを持つ名前。(だか何だか分からないけど)
ようするに古墳らしいですが、かなり偉い人か権力のある人のお墓のようです。
しかし残念ながら史料が何も残っていないみたいです。
奈良時代に隠岐に遠流になった都の豪族の墓ではないかという人もいるそうですが、確かなことは分かりません。
面白いのは「村が一大事のときにこの五輪塔の下を掘れ」という言い伝えがあるそうです。
ウェブ検索すると1件だけ見つかりました。→「隠岐 海士町 伝説・民話・神話」より
地元の人でも詳しく知っている人はほとんどいないエメズドさん。
「エメズドさん」という呼び名はどこから来たのでしょう?
ひとつは「延命地蔵さん」が訛ったという説。
延命地蔵→エンメイジゾウ→エメジゾ→アメジゾ→エメズド
ということですか。
もうひとつは「夢地蔵さん」が訛ったという説。
夢地蔵→ユメジゾウ→ユメジド→アメジド→エメズド
なるほど。夢地蔵はちょっとステキですね。
でも… 大昔の人が「延命地蔵」とか「夢地蔵」って名前を付けるようには思えないし…
私はまた想像力をフル回転し、こんな話を考えました。
………………
ひどい嵐だった。
見渡してもどこにも陸地などない太平洋上で、小さなヨットが木切れのように波にもまれていた。
ただひとりの乗員であるアメリカ人の男は、もはや体力も尽き果て、折れたマストにかろうじてしがみついていた。
そのとき、ひときわ大きなうねりに襲われ、ついに船は転覆し、男は海中に投げ出された。
男は船のどこかで頭を強く打ち、意識を失ってしまった、
「ありゃ、なんだ?おぉ、人だねぇか!こりゃぁ大変だー。早く助けねぇと」
漁師は海に浮いている人間を彼の小船に引きずりあげ、あわてて岸につれて帰った。
漁師は仲間を呼んで、おぼれていた男を村まで運んだ。
「なんともまぁ、妙な男だなぁ」
「顔も変わってりゃぁ、身なりも変わってる」
「目が青いし、髪の毛が金色だぁ」
男は親切な村人たちに手厚く介抱され、なんとか少し意識が戻った。
しかし、残念ながらもう虫の息。
薄っすらとした意識の中で、男は目を開いた。
(ここは… どこだ… 私はまだ生きているのか… この人たちが助けてくれたのだろうか。
東洋人のようだが… いや、そんなはずは… )
アメリカ人は、自分の身に起こった訳の分からない状況に最後の一言。
「I'm amazed…」(驚いた…)
そして間もなく息を引き取った。
昔々。今から千何百年も前のこと。
未来世界の嵐の海から、なんかのはずみでタイムスリップしてしまったアメリカ人は、隠岐の中ノ島付近の海に突然現れ、そして海士村・御波で死んだ。
村人たちはこの男が最後に言った言葉「I am amazed」から、男のことを「エメーズドさん」と呼んだ。
村人たちは、今までにも島に流れ着き亡くなった他国の人に、簡単な墓をつくってあげていた。しかしこのエメーズドさんは、今までの外国人たちとは違っていた。
金色の髪に宝石のような青い目。見たこともない奇妙な服装。
村人たちはこの男に神々しいものを感じ、あんまり粗末に扱ってはいけないと考えた。
そこで五輪塔の墓を建ててあげることにした。
男が身に着けていたものや持ち物(それらは村人たちには到底理解できないものだった)も塔の下に埋めてやった。
どこからやって来たか分からない、奇妙な容姿と服装の不思議な男「エメズドさん」に、村人たちは神秘的なものを感じ、その後も代々五輪塔を大切に守ってきたそうな。
五輪塔の下には、男が身に付けていた腕時計、携帯電話、アクセサリーなどが埋まっているということは… 今では誰も知るものはいない。
(おわり)
………………
しかし、タイムスリップとか好きだねぇー。
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■小野篁外伝 Episode 3 出会い、そして別れ
Episode3の最終回です。
ではさっそく先週の続きを。
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娘は心臓がひとつ大きな音を立てたのが聞こえたような気がした。
そこには背の高い、美しい顔立ちの男が立っており、涼しげな瞳でこちらを見ていた。
その瞳の奥は透明で、生まれて始めて恐いものなど何も感じさせない男であった。
― このお方は、もしや夢の中の男の人?
娘は何故だか涙が溢れそうになり、必死でこらえた。
男の方も驚きを隠せなかった。
一目で分かった。
この娘が自分の妹だと。
今までいろんな女を見てきたが、この娘は他のどの女とも違う。もちろん顔の美しさもだが、この世の中に馴染みきっていない別世界の人のような雰囲気がある。
小野篁(おののたかむら)はそう思った。
二人は並んで草の上に腰をおろした。
篁は娘にこれまでの事情をすべて話して聞かせた。
話を聞きながら娘は大きな瞳から涙をこぼした。
「そうだったのですか。とても不思議なお話ですね。
この玉が私を本当の父上がいる時代に連れて行ってくれるのですね。
私はそのお話を信じます。
私にはあなたが… 本当のお兄様だということが分かりますから。
いつもお兄様のことを夢で見ていたのです」
そう言って娘は篁の胸に顔をうずめて泣いた。
その時、数人の男の野卑な声が聞こえた。
「おいおい、見せつけてくれるではないか。
ん?お前。見かけぬ男だな。
その娘は俺が目をつけた女だ。見過ごすわけにいかぬな」
ひとりの男が近づき、脅すように刀で篁の顔を撫ぜた。
篁の刀と弓矢は少し離れたところに置いてあった。それを別の男がにやけながら拾い上げていた。
「見過ごせぬならどうしようと言うのだ?」
少しも怯まず、篁は立ち上がった。
篁の背の高さに、逆に剣を持った男が少したじろいだ。
「な、何だと!?女みたいな顔して、生意気な!娘の前だからといって格好つけやがって。
その言葉、後悔させてやるわ!」
男は大上段に篁に切りかかってきた。
見かけとは違い、人々に『野狂』と呼ばれるほどの反骨精神と荒っぽさを持つ篁である。知らないこととはいえ相手が悪かった。
男の刀は簡単によけられ、篁に足をかけられ思いっきり転んでしまった。
「くそっ!」
別の男が隙を見て娘の手を引っ張った。
その拍子に娘が手に持っていた玉が手からこぼれ落ちた。
「なんだこの玉は?」
「返してください。それが無いと…」
「そんなに大事なものか?返してやるから俺たちと一緒に来い」
男がさらに強く娘の手を引いた。
「娘の手を離せ。さもなくば痛い目にあうだけでは済まなくなるぞ」
篁が低い声で言った。
体全体から恐ろしい雰囲気が溢れていた。
男は娘に刀を当てた。
「来いよ。女がどうなっても知らないぞ。ふん、こんな玉こうしてやるわ!」
男は玉を足元の岩に思いっきり投げ付けた。
篁は胸元から素早く何かを出し、それを男に向けて蹴り飛ばした。
それは篁がいつも持ち歩いている蹴鞠(けまり)の鞠であった。
鞠は見事に男の顔面をに命中した。
はずみで落した男の刀を取り上げ、みね打ちではあるが容赦無く男の肩口を打ち付けた。
男は悲鳴を上げた。おそらく鎖骨は砕けたであろう。
仲間がやられるのを見ていた男どもは、倒れている仲間を担いで、一目散に逃げ出した。
篁は玉を拾い上げ娘に手渡した。
「思いがけないことになってしまった。こんなことなら逆らわずに適当にあしらっておけば良かった。
俺は理不尽なことや侮辱されることが許せないたちなのだ。
玉にひどく傷がついてしまったが大丈夫だろうか」
篁はまもなく妹が未来に戻る時間であるということを思い出した。
「さあ、その玉を早く袋に入れて、しっかり見につけておくのだ。もうすぐ本当の父上に会える筈だ。
俺もすぐに行くからまた後で会おう」
「では先に行ってお待ちしております。お兄様」
そう言い終わったとき、妹の姿は突然消えた。
「良かった。壊れていなかったみたいだな。
あぁ、そうだ。妹に名を聞くのを忘れておった。まぁいいか。すぐにまた会えるからな」
その数分後、平安の世の山里から、篁の姿も消えた。
…………………………
時空間転移装置に篁が戻った。
「只今戻りました、父上」
「おやっ、篁か?妹はどうした。先に帰ってくるはずなのに。会えなかったのか?」
博士は心配そうに尋ねた。
「いや、そのようなことは… 確かに妹が先に姿を消しましたが。
まさか、まだ帰っていないというのですか!」
篁は珍しくあせった。
「実は向こうでちょっと諍いに巻き込まれまして、玉を傷つけてしまったのです。そのせいでしょうか?」
「そうかも知れないな。
えらいことだ。もう娘には会えないかも知れないぞ」
「父上!もう一度妹と出会う少し前の時へ俺を戻してくだされ」
「おお!そうだな。お前は頭がいいぞ。ではそうしてくれ」
博士は篁を過去に戻した。
そしてすぐに篁は研究所に戻ってきた。
彼にとっては数日が経っていたのである。
「父上、だめです。妹と会った同じ場所に行ったのですが、会えませんでした。
例のくだらない男どもは現れましたがね。
これはいったいどういうことでしょうか?」
博士はしばらく考えて答えた。
「やはりそうか…
同じ人間が二人同時に存在することはできないのだ。たとえ時代が違ってもだ。
篁よ。お前は今ここにいるよな。
ということはお前が消えた時からあとの時代には、お前は存在しないのだ。
ただし、お前が未来に飛ぶ前の日には、お前は存在する。
しかしそれはもはや別の世界なのだ。
お前が未来にジャンプして過去から消えた瞬間に別の世界になってしまったのだよ」
「父上。まったく意味が分かりませぬが…」
篁は首を捻った。
「うーん。つまり分かりやすく言えばこういうことだ。
時はミルフィーユのように重なっているのだよ」
「ミルヒ…なんですかそれは?よけい分かりませぬ」
「パラレルワールド…もわからんよなぁ。
とにかく時の流れは一本ではなく無数にあるということだ。
例えばふた手に分かれた道があった場合、右に進んだ未来もあれば、左に進んだ未来もあるのだ。
誰にでもそういうことがあるだろう?どっちにしようか迷うとき。そういうときは両方の未来が存在するのだよ。
だから未来は無数にあるはずなのだ」
「なんか少し分かったような気がします。しかしそれであれば、妹はもう別の世界に行ってしまって、二度と会えぬというのですか!」
「いや、過去に戻って妹に会えなかったということは、逆に同じ時の流れの中に存在している証拠だと思う。娘には必ず会えるはずだ」
博士は試しにもう一度呼び戻そうと装置を操作し、玉に発信した。だが、やはり戻っては来なかった。
「父上!もう一度試してくだされ」
篁は頼んだが、博士は首を横に振った。
「だめだ。何度も続けてはできない。娘はどこか別の時代、別の土地に移動したことは確かなのだ。
ただそれがどこだかは分からない。
そしてさっきもう一度発信したことで、娘はまたどこか違う時代、場所に行ってしまったはずだ。
そんなことを何度もするわけには行かない。
娘を苦しめるだけだからな」
無言で沈痛な空気が漂う中、篁が口を開いた。
「では、俺の方から探しに行きます。」
「探すって、何処を探すのだ?見当もつかないのだぞ」
「良いのです。俺の責任なので。見つけるまで探します」
博士はしばらく考えて言った。
「お前は過去の世界に住む人間だ。元の時代に帰らなければならない。そしてそこではあまり目立って定まった未来に影響を与えるようなことをしてはいけない。
だからこうしよう。毎夜、人が寝静まった丑三つ時にこちらに呼び戻す。そしてこの時空間転移装置から、妹を探すために毎日違う時間場所にお前を送り出すことにする。そしてまた元の時代に、人々が眠っている時間にお前を送り返すことにする。それでどうだ?但し、目立たぬよう元の時代からこちらに来るときは屋敷の庭の井戸の中から来るようにしろ。分かったか?」
「分かりました。そのようにします」
篁は答えた。
「そしてもうひとつ大事なことがある。元の時代に帰ったら、今までのように目立った振る舞いをせず、学問に専念し真面目に暮らすのだ。約束してくれるか?」
「分かりました。妹を探すためなら言われるとおりにいたします」
……………………………
都に戻った篁は、人が変わったように勉強に励み、翌年21歳にして文章生の試験に受かり、父と同じ官吏の道を歩むことになる。
そして毎夜庭の井戸の中に降りていった。
もちろん伝説として残っているように、冥界で閻魔の助手をするためなどではない。
未来の父の研究所を経由し、妹を探す時の旅人となるためであった。
……………………………
エピローグ
篁は妹に出会い、そして会えなくなって以来、和歌を書くようになった。
妹がその歌を受けて返歌を作ってくれたらそれを手がかりに妹のいる時代と場所が分かるかもしれないと考えたからである。
その代表的なものは次の歌である。
泣く涙 雨とふらなん 渡り川 水まさりなば 帰りくるがに
「私の涙が雨のように溢れ、三途の川の水が増えれば、きっと妹はあの世に行けずこの世に帰ってくるだろうに」
これは実は、過去か未来か分からない時代に行ってしまった妹を思った歌で、渡り川とはあの世とこの世の境にある川、つまり三途の川のことであるが、これは過去と未来をつなぐものという意味である。
そしてこの水が増せばとは、時空間転移装置の受信機である玉が元に戻れば
ということである。
この他にも妹へ宛てた歌が残っているため、後世では実の妹と恋に落ちたと誤解され、禁断の恋物語として語り継がれることとなる。
そして妹の方はどうかというと、やはり同じように兄にもう一度会いたいという気持ちで、多くの歌を残している。
そして実は、彼女は後世にも多くの痕跡を残しているのだ。ただ残念なことに、何度も違う時代違う場所に移動させられたため、生没年月日も経歴も不詳ということになってしまった。
彼女の残した歌に、どうやって知ったか、隠岐(海士)に遠島になった篁に宛てた歌がある。
あまのすむ 里のしるべにあらなくに 浦見んとのみ 人の言うらむ
「私はあまの住む里の案内人では無いというのに、なぜあの人は浦を見る(怨みますよ)とばかり私に言うのでしょうか」
この歌は隠岐の國・海士に流された篁が、さぞかし世の中を怨みながら毎日を暮らしていることだろうと想像して書いた歌である。
また、夢で篁に会っていたという話をしたことを思い返し、こんな歌を残している。
思いつつ ぬればや人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
「あの人を思いながら眠ったので、夢に見たのでしょうか。夢だと分かっていたなら、目覚めたくなかったのに」
夢路には 足も休めずかよへども うつつにひとめ 見しごとはあらず
「夢の中ではあなたに会うためには足も休めず通いますけれど、現実でひと目お会いすることにはかないません」
最後に彼女の代表作。
花のいろは うつりにけりないたずらに わが身世にふる ながめせしまに
あまりにも有名な歌であるが、これは会いたい人に会えず、むなしく時を行き来する自分の哀れさを歌ったものだということは、知られていない。
もうお分かりでしょう。
篁の双子の妹・小野小町は数奇な運命を背負い、日本の各所に現れてはまた消え去った。
しかし、そのあまりの美しさゆえ、さまざまな伝説が彼女が時を旅して訪れた土地に、今でも伝説として残っている。
小野小町が90歳以上も長生きをしたという言い伝え、そして小野篁の孫であるという言い伝えも、これでお分かりいただけたか…
(おわり)
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小野篁外伝 Episode 3やっと終わりました。
いつかきっとEpisode 4を書こうと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
感想などはこちら→amana事務局までお寄せください。
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